と、車を降りサングラスを外した時に思いました。
例えば宝石やイルミネーションのように、キラキラと光り輝く物に人々は目を惹かれ、心を魅了される。
だが、光が強すぎる物には目を塞ぎ、サングラスなどのフィルター越しでしか見なくなる。
人に例えるなら、『キラキラとした瞳で夢を語る人』を人は応援したくなる。だが、時にその“夢”が大きすぎる場合、大体の人は「バカにする」「反対する」などと否定的な反応になってしまう。なので“大きな夢”は語りにくくなってしまっている。
大人になればなるほど“夢”に対しての評価?反応?は厳しいものに変わってくる。
「無謀だ!」
「現実を見ろ!」
などの言葉を、現に私も言われたし、言っていた。
しかし、いざ自分が夢に向かい実際に行動をし歩き出した時、そのサングラスは外れた気がした。
“夢を語る人”を素直に尊敬するようになり、応援するようになった。
そもそも“夢”の大きさなんてものはないのかなとも思えてくる。どんな夢でも、夢をみて努力する人はキラキラと輝きとても美しい。
私はまだ夢に向かい歩き出したばかり。
まだまだ弱い光かもしれない。
強く光り輝く人、自分の光に気づかない人、光を探し歩く人、どんな人でも光り輝くステージは必ずある。
突然ですが、noa.は共に夢を語り、認め合い、せんいの街に光を灯し、盛り上げてくれる仲間を募集します。
ご興味のある方は是非一度連絡ください。
tel 0586-55-8145